2018.04.18 レベルフォーデザインの歴史 1「資質の形成」
グラフィックデザイナーの仕事について30年。
過去を振り返っても仕方がないかな。
とも思うけれど、この仕事を選んだ理由や、会社の成り立ちだったり
そもそもの思いだったりをまとめてみたいと感じた、
レベルフォーデザイン清水啓介です。こんにちは。
幼稚園のとき、絵を描くことが大好きだった。
これがそもそもの始まり。
友達に頼まれては怪獣や恐竜の絵を描き、みんなに褒められる。
褒められるから、なんども描き続け、
描き続けるから上手くなる。
上手くなると、楽しいから小学校に入ってもさらに描き続け
展覧会などでいくつも賞をもらったりして、また褒められる。
初めての受賞は小学3年のときの動物の粘土細工。
意外にも絵ではない。
まわりのみんなは、定番のライオンやうさぎをつくる中、
私はというと、父親に連れて行ってもらった動物園で見た
天然記念物のオオサンショウウオ。
小学生なので奇をてらったつもりはなかったが、
グロくて、気持ち悪い。でもインパクトは抜群。
友達には「気持ち悪い」「なにそれ?」というドン引きのリアクション。
ただそのリアルさが良かったのか、市のコンテストで金賞をもらった。

こんな感じのやつ。
さらに、小学4年の時、風景画で賞をもらう。
校舎裏の1本の大木のある景色。
どこにでもある風景だが、その1本の大木にこだわった。
生い茂る葉っぱを、何度も何度も塗り重ねる。
その理由はわからないが、何度も、何度も。
それが、油絵のような風合いを出し、立体的な風景に仕上がった。
別にそうしようとした訳でもないのだが、
これが山口県でNo1の賞を受賞することとなる。
どちらの賞も、先生と母親の喜ぶ顔が今でも記憶に残っている。
絵を描くとみんなが喜ぶ、賞を取ると先生も両親も喜ばせることができる。
今、思い起こせばこれがデザイナーを目指す「基」となっているのだろう。
そんな幼稚園の記憶と小学生の小さな成功体験が、その先歩む人生に大きく影響するとは
改めて感慨深いし、ちょっと怖い。
中学校では専攻科目で美術を選ぶものの、バレーボール部に所属し
スポーツに熱中することとなる。
高校に入っても、同様で専攻科目は美術を選択、
そして部活のバレーボールにさらに熱中する日々が続く。
高校3年間、厳しすぎる練習に耐えた。
その結果、努力した分だけ確実に強くなることが身にしみて分かった。
そして、試合に勝たなくては楽しくないということも分かった。
勉強はというと悪くはないが、特別よくもない。
ただ、美術だけは褒められた記憶しかなく、義務教育期間中は常に5をキープしていた。
しかし、私が入学したのは進学校。高校3年時にはバレーボール部も引退し
絵のことは忘れ、みんなと同じように受験勉強をし、
みんなと同じように大学を目指す。。。
と思われた進路相談で、
「清水はどこの大学を目指すんだ?」
先生に聞かれて全く答えられないし、そもそも関心がない。
大学?何学部?で大学卒業してどうする?何がやりたい?
一応理系だけど。それで?
高校3年の夏。
今でいう「自分探し」が始まるのだが、
その時、自らの生い立ちに衝撃の事実が明らかになる。
これが大きな人生の分岐となるが、
グラフィックデザイナーを目指すのは、もう少し先の話。
続きは「挫折と分岐」で。
(なんか自慢話っぽくてすみません)
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